ビートルズのメンバー4人の誕生日は以下のとおり。
生存しているメンバーの現在の年齢、亡くなったメンバーの年齢、星座などがこの記事で分かります。
- ジョン・レノン
- プロフィール
- ビートルズでは主にヴォーカルとギターを担当ポール・マッカートニーと共にバンドのメイン・ソングライターを担う
- ビートルズ解散後はソロやバンドで活動11枚のオリジナル・アルバムをリリース
- ビートルズのメンバーの中でジョン・レノンだけがバンド解散後にソロなどでの来日公演の機会が無かった
- ポール・マッカートニー
- プロフィール
- ビートルズでは主にヴォーカルとベースを担当ジョン・レノンと共にバンドのメイン・ソングライターを担う
- ビートルズ解散後はソロやバンドで活動スタジオ・アルバムを25枚リリース
- ビートルズのメンバーの中では最多の来日回数を誇る49年ぶりの日本武道館公演も実現
- ジョージ・ハリスン
- プロフィール
- ビートルズでは主にギターを担当メンバーの中で最年少
- ビートルズ解散後はソロやバンドで活動スタジオ・アルバムを10枚リリース
- ビートルズ解散後の来日は1回のみエリック・クラプトンをゲストに迎えて行なわれた
- リンゴ・スター
- プロフィール
- ビートルズでは主にドラムを担当 メンバーの中で最年長
- リンゴ・スターの本名は? 名前の由来は指輪?
- ビートルズ解散後はソロやバンドで活動 2019年までにスタジオ・アルバムを 20枚リリース
- これまでに5回の来日回数を誇る ビートルズ解散後メンバーの中でソロとして初めて武道館でコンサートを行ったのはリンゴ
ジョン・レノン
プロフィール
名前:ジョン・ウィンストン・オノ・レノン ※1
生年月日:1940年10月9日(1980年12月8日死去 満40歳没)
担当楽器:ヴォーカル ギター ベース ハーモニカ ピアノ オルガン 等
出身地:イングランド マージーサイド州リヴァプール
血液型:O型
作詞・作曲数:164曲
レノン/マッカートニー名義:161曲 ※2
ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ名義:2曲
ジョン、ポール、リンゴ名義:1曲
リードボーカル担当全曲数:96曲
(単独でのリードボーカル76曲、共同でのリードボーカル20曲)
ロックの殿堂入り(個人として):1994年(カテゴリー:パフォーマー部門)
※1 出生時の名前はジョン・ウィンストン・レノン 。1969年のオノ・ヨーコとの結婚に際し、“オノ”のミドルネームを追加してジョン・ウィンストン・オノ・レノンと改名した。
※2 マッカートニー/レノン名義も含む。
ビートルズでは主にヴォーカルとギターを担当ポール・マッカートニーと共にバンドのメイン・ソングライターを担う
ジョン・レノンは、ビートルズでは主にヴォーカルとギターを担当していた。
ビートルズの全楽曲213曲のうち、161曲に制作者としてクレジットされている。
名義はジョン・レノンとポール・マッカートニーの2人の連名である、レノン/マッカートニーである。※1
ビートルズの楽曲でレノン/マッカートニーとクレジットされている楽曲は、二人で共作をせずにジョン・レノンもしくはポール・マッカートニーが一人で作った楽曲でも、このクレジットとなっている。
ジョン・レノンがビートルズの楽曲に作詞・作曲でクレジットされている数の多さは、ポール・マッカートニーと共にメンバー最多である。
ビートルズ解散後はソロやバンドで活動11枚のオリジナル・アルバムをリリース
ジョン・レノンは、ビートルズ在籍時の1968年からソロ活動を開始している。ソロ名義、オノ・ヨーコらと結成したプラスティック・オノ・バンド名義、ジョン・レノン&オノ・ヨーコ名義と様々な形で11枚のオリジナル・アルバムをリリースしている。(カバー・アルバムを含む)
ちなみにビートルズは、1969年5月30日に20枚目のオリジナル・シングルとして「ジョンとヨーコのバラード」という曲を発売しているが、この曲にはオノ・ヨーコは参加していない。ビートルズの楽曲で、メンバーの名前がタイトルに入っているのは、この曲だけである。
ビートルズのメンバーの中でジョン・レノンだけがバンド解散後にソロなどでの来日公演の機会が無かった
ビートルズのメンバーの中で、バンド解散後にソロもしくはバンド名義で来日公演が無いのは、ジョン・レノンだけである。ただし、個人的な観光等では何度も来日をしている。
ポール・マッカートニー
プロフィール
名前:ジェイムズ・ポール・マッカートニー
生年月日:1942年6月18日
担当楽器:ヴォーカル ベース ギター ドラム ピアノ キーボード オルガン メロトロン モーグ・シンセサイザー 等
出身地:イングランド マージーサイド州リヴァプール
血液型:B型
作詞・作曲数:164曲
レノン/マッカートニー名義:161曲 ※1
ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ名義:2曲
ジョン、ポール、リンゴ名義:1曲
リードボーカル担当全曲数:89曲
(単独でのリードボーカル70曲、共同でのリードボーカル19曲)
利き腕:左
ロックの殿堂入り(個人として):1999年(カテゴリー:パフォーマー部門)
ビートルズでは主にヴォーカルとベースを担当ジョン・レノンと共にバンドのメイン・ソングライターを担う
ポール・マッカートニーは、ビートルズでは主にヴォーカルとベースを担当していた。
ビートルズの全楽曲213曲のうち、161曲に制作者としてクレジットされている。
名義はジョン・レノンとポール・マッカートニーの2人の連名である、レノン/マッカートニーである。※1
ビートルズの楽曲でレノン/マッカートニーとクレジットされている楽曲は、二人で共作をせずにジョン・レノンもしくはポール・マッカートニーが一人で作った楽曲でも、このクレジットとなっている。
ポール・マッカートニーがビートルズの楽曲に作詞・作曲でクレジットされている数の多さは、ジョン・レノンと共にメンバー最多である。
ビートルズ解散後はソロやバンドで活動スタジオ・アルバムを25枚リリース
ポール・マッカートニーは、1970年4月17日に初のソロ・アルバム『McCartney – マッカートニー』をリリースして、ソロ・アーティストとしての活動を開始した。
このアルバムをリリースする1週間前の1970年4月10日は、ポール自らがビートルズから脱退する事を発表した日である。1970年5月8日には、ビートルズが活動期間中に発表した最後のオリジナル・アルバムである『Let It Be – レット・イット・ビー』がリリースされた。
1971年にはウイングスというバンドを結成。ウイングスもしくはポール・マッカートニー&ウイングス名義で7枚のスタジオ・アルバムをリリースした。
その後はソロとしては、2020年の最新作『McCartney III – マッカートニーIII』までに、通算18枚のスタジオ・アルバムをリリースしている。※2
ビートルズのメンバーの中では最多の来日回数を誇る49年ぶりの日本武道館公演も実現
ポール・マッカートニーは、ソロ・アーティストとしてこれまでに7回来日公演ツアーを行っている。これはビートルズの元メンバーの来日回数としては最多である。
来日した年は以下のとおり。
- 1990年3月~
- 1993年11月~
- 2002年11月~
- 2013年11月~
- 2015年4月~
- 2017年4月~
- 2018年10月~
2015年のツアーでは、ポール・マッカートニーはソロ・アーティストとして初めて日本武道館で公演を行なった。ビートルズ時代から遡ると49年ぶりとなる日本武道館での公演となった。
※1 マッカートニー/レノン名義も含む
※2 ポール&リンダ・マッカートニー名義のアルバム『ラム』も含む
ジョージ・ハリスン
プロフィール
名前:ジョージ・ハリスン
生年月日:1943年2月25日(2001年11月29日死去 満58歳没)
担当楽器:ギター ヴォーカル ベース シタール タンブーラ ピアノ キーボード モーグ・シンセサイザー 等
出身地:イングランド マージーサイド州リヴァプール
血液型:A型
作詞・作曲数:24曲(単独作22曲、共同作2曲)
ジョージ・ハリスン名義:22曲
ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ名義:2曲
リードボーカル担当全曲数:30曲
(単独でのリードボーカル28曲、共同でのリードボーカル2曲)
ロックの殿堂入り(個人として):2004年(カテゴリー:パフォーマー部門)
ビートルズでは主にギターを担当メンバーの中で最年少
ジョージ・ハリスンは、ビートルズでは主にギターを担当していた。ビートルズの全楽曲213曲のうち、24曲に制作者としてクレジットされている。
ビートルズの楽曲において、単独作のクレジットが一番多い(22曲)のはジョージである。
リード・ボーカルは全部で30曲担当している。
ビートルズ解散後はソロやバンドで活動スタジオ・アルバムを10枚リリース
ジョージ・ハリスンは、1970年11月27日に初のソロ・アルバム『All Things Must Pass – オール・シングス・マスト・パス』をリリースした。
ソロとしては2002年発売の遺作『Brainwashed – ブレインウォッシュド』までに、通算10枚のスタジオ・アルバムをリリースした。
また、1988年にはジェフ・リン、ロイ・オービソン、ボブ・ディラン、トム・ペティらと覆面バンドのトラヴェリング・ウィルベリーズを結成して、2枚のアルバムをリリースしている。
ビートルズ解散後の来日は1回のみエリック・クラプトンをゲストに迎えて行なわれた
ジョージ・ハリスンは、1991年12月にジョージ・ハリスン ウィズ エリック・クラプトン & ヒズ・バンド(George Harrison with Eric Clapton and his band)名義でビートルズ解散後の唯一の来日公演を行なった。この時の来日では全部で12回の公演が行われた。
ちなみに、エリック・クラプトンは、ビートルズが1968年に発表した2枚組アルバム『The Beatles – ザ・ビートルズ』(通称『ホワイト・アルバム』) に収録されている、ジョージ作の「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」でギター・ソロを演奏している。
来日公演の詳細は以下のとおり。
〈1991年来日公演ツアー〉
- 12月 1日(日)横浜アリーナ
- 12月 2日(月)大阪城ホール
- 12月 3日(火)大阪城ホール
- 12月 5日(木)名古屋市国際展示場
- 12月 6日(金)広島サンプラザ
- 12月 9日(月)福岡国際センター
- 12月10日(火)大阪城ホール
- 12月11日(水)大阪城ホール
- 12月12日(木)大阪城ホール
- 12月14日(土)東京ドーム
- 12月15日(日)東京ドーム
- 12月17日(火)東京ドーム
リンゴ・スター
プロフィール
名前:リンゴ・スター (本名:リチャード・スターキー)
生年月日:1940年7月7日
担当楽器:ドラム パーカッション ヴォーカル 等
出身地:イングランド マージーサイド州リヴァプール
血液型:A型
作詞・作曲数:5曲(単独作2曲、共同作3曲)
ジョン、ポール、リンゴ名義:1曲
リチャード・スターキー名義:2曲
リードボーカル担当全曲数:10曲
(単独でのリードボーカル10曲、共同でのリードボーカル0曲)
利き腕:左
ロックの殿堂入り(個人として):2015年
(カテゴリー:Award for Musical Excellence)
ビートルズでは主にドラムを担当 メンバーの中で最年長
リンゴ・スターは、ビートルズでは主にドラムを担当していた。メンバーの中では最年長である。ビートルズにメンバーとして加わったのは一番最後である。
前任のドラマーのピート・ベストがバンドをクビになった1962年8月16日から2日後の1962年8月18日にビートルズに加入した。リンゴ・スターがビートルズに加入したのは、バンドがイギリスでデビューを果たす1962年10月5日の48日前である。
ビートルズの全楽曲213曲中、5曲に製作者としてクレジットされている。ビートルズの楽曲に作詞・作曲でクレジットされている数は、メンバーの中では一番少ない。リード・ボーカルは10曲担当している。
リンゴ・スターの本名は? 名前の由来は指輪?
リンゴ・スター(Ringo Starr)という名前は芸名である。 本名はリチャード・スターキー(Richard Starkey)。
リンゴ・スターという芸名の由来は、本人が指輪(ring)を身に付けるのが好きな事から由来している。 Ringに o を付けてRingoとし、Starkeyを縮めたstarにrをつけてStarrにしたのがRingo Starrという芸名の由来と言われている。
ring + o = Ringo
starkey – key + r = Starr
Ringo Starr
ビートルズ解散後はソロやバンドで活動 2019年までにスタジオ・アルバムを 20枚リリース
リンゴ・スターは、1970年3月27日に初のソロ・アルバムをリリースした。 これはアメリカのスタンダード・ナンバーのカバー・アルバムである。ソロとしては、2019年の最新作『ホワッツ・マイ・ネーム』までに、通算20枚のスタジオ・アルバムをリリースしている。
ビートルズの元メンバーの中では、スタジオ・アルバムのリリースが一番が多い。
これまでに5回の来日回数を誇る ビートルズ解散後メンバーの中でソロとして初めて武道館でコンサートを行ったのはリンゴ
1989年にはリンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドというバンドを結成。リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドとして、これまでに5回の来日を果たしている。
来日した年は以下のとおり。
- 1989年
- 1995年
- 2013年
- 2016年
- 2019年